チャペルのひびき

主イエスを尺度として

チャペル・アワーでは、金山愛子先生(本学学長)が、ルカによる福音書をテキストとして、主イエスを尺度として生きることの大切さを教えてくださいました。主イエスの慈しみは、社会の偏見、公平性にこだわるあまりに愛を欠いてしまいがちな世間の常識を打ち砕くほどに、広くて深いものでした。その慈しみをもって、神の愛を表し、小さな人、弱き人、貧しき人に手を差し伸べられてゆかれたのです。主イエスのまなざしの光のもと、世間の常識や偏見を超えて、助けを必要とする人に手を差し伸べつつ生きることの大切さを先生は伝えてくださいました。引き続くアッセンブリ・アワーにおいては、酢山省三先生(新潟水俣病阿賀野患者会・事務局長)と皆川榮一先生(原告団長)のお2人を通して、新潟水俣病について、また、そのもとでの苦しみの深さについて知る機会を与えられました。神経を侵される病の苦しみ、国策による環境汚染の結果、そのような重い病を抱えてしまったことにもかかわらず、その認定を得られないことの理不尽さ、さらには、社会的偏見や差別にさらされなければならない苦しみがそこに重なってしまうことを、皆川先生はお伝えくださいました。そのようなあまたの困難の中を闘ってこられ、また将来に向けて決意を新たにされる先生に、敬意を抱かずにはいられませんでした。私たちのできることは、新潟水俣病について正しく理解すること、苦しみの中を闘っておられる方々(亡くなられた方々を含めて)を心に留めること、またこのようなことが起こらないために何ができるかを考えてゆくこと。そのためにも、主イエスを尺度として心に刻みたいと思います。(下田尾 治郎) 

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「イエスに立ちかえる」 学長 金山愛子 先生

Ⅱ. アッセンブリ・アワー
講演 「4/18新潟水俣病の裁判判決を受けて―患者の心からの願いを聞いてください―」新潟水俣病阿賀野患者会 事務局長 酢山省三 先生、原告団団長 皆川榮一 先生
 

<参加学生の感想>
感想1) ルカによる福音書21章1-4節では、イエスが貧しいやもめが神殿に献金する様子を見て、その行為を称賛する場面が描かれています。富める者たちが余裕から多額の献金をする中、このやもめは生活に必要な全てを捧げました。このエピソードは、献金の金額ではなく、その行為に込められた心の姿勢が重要であることを教えてくれます。自分の持てる全てをささげる勇気と信仰の深さに心打たれ、自分の生活においても、どれだけの心を込めて人や神に仕えているかを再考させられました。
感想2) 今回のチャペル・アッセンブリ・アワーでは新潟水俣病阿賀野患者会のお話を聞いて、被害者の立場として、阿賀野川の魚の話や、新潟水俣病によって引き起こされた日常生活の支障で今でも苦しまれている人がいることを知った。新潟水俣病によって運命が変わってしまい、裁判での戦いを通して、清らかに過ごすことができる平和な生活を望んでいる状況にあることを知った。社会的被害や偏見差別に関する問題は地元だからこその着目すべき課題だと思った。小学校のころから教わってきた新潟水俣病について、まだまだ分からなかった事実や、新潟水俣病の症状・副作用の苦しさについて理解することができた。時代が過ぎても過去の記憶にすることなく、今ある恵まれた環境に感謝しつつ、起こった問題と向き合い、新潟水俣病について考えていくことが大切であることを知った。