学長室だより
「日本一の大学を目指して励まれた方―倉島謙さんを偲んで」
新潟では、冷たい雨と風の季節に入りました。11月23日に本学に28年間勤務された元職員の倉島謙さんが天に召されました。26日の新潟教会での主日礼拝では神崎典子牧師が、倉島さんが19日の礼拝まで出席され、教会員の皆さまとの交わりとつながりの中で生き抜かれたことを証されました。教会に設えられた祭壇には、「わたしはまことのぶどうの木」(ヨハネ15章)のページを開いた聖書と、敬和で撮影された倉島さんのにこやかなお写真に、中国での入試の出張で房文慧先生、一戸信哉先生と中国人卒業生と撮った写真が飾られていました。倉島さんが最後までぶどうの枝としてキリストとつながっておられたこと、また敬和での日々が倉島さんのよき思い出になっていたことを知り安心しました。翌日の新潟教会の長倉望牧師の司式による埋葬式には、倉島さんと親交のあった教職員や元職員、卒業生が参列しました。大学ではいろいろな方が思い出を語ってくれました。倉島さんのお父上は新潟教会の隣でテーラーを営んでおられ、倉島さんはいつもお父上によるオーダーメイドのスーツをお召しになっていたそうです。佐々木駅から大学への道を歩いているとキュッと車が止まって、「先生、乗っていかれませんか?」と声をかけてくださったのも倉島さんだったという話も。
学長室のある聖籠館2階の階段を上ったところに、金色の雲海の上にそびえる白富士の油絵が掛けてあります。少し日本画的なタッチのすてきな絵だなと思っておりましたら、実はこれが倉島さんの作で寄贈されたものだと知りました。山田前学長が着任の折に「日本一の大学を目指したい」とおっしゃった言葉を励みにがんばってこられたと倉島さんが残されたのは、敬和を愛するふわっとした温かい雰囲気でした。先日チャペル・アッセンブリ・アワーでお話くださった新潟教会会員の横坂幸子さんが、「神さま、倉島さんをよろしくお願いします」とお祈りされました。その祈りに心を合わせたいと思います。
キリストの降誕を待つ待降節(アドベント)を迎え、今日から敬和のクリスマスツリーに光が灯されます。キリストの愛と希望の光がこの世を照らしますように。(金山 愛子)