恩師から与えられた薫陶その3
関根正雄先生は大学院生を上から目線で指導するのでなく、一人の研究者として扱い、対論を出しなさいと言われたのです。それまでの教育現場の環境とは全く違っていたので、深く感動しました。研究に取り組むことにお...
関根正雄先生は大学院生を上から目線で指導するのでなく、一人の研究者として扱い、対論を出しなさいと言われたのです。それまでの教育現場の環境とは全く違っていたので、深く感動しました。研究に取り組むことにお...
高校までは決まった教科書があり、指導要領に従って教師が解説的にポイントを説明し、授業をするのが共通している光景でしょう。わたくしが経験した大学院のゼミは、そうではなかったのです。大きな教室でなく大学に...
どきどきしながら呼び鈴を押した感覚は今でも覚えています。何かが始まる予感がありました。書斎に通されてご挨拶を申し上げたのですが、教室と違ってにこやかに接して下さったのでびっくりしました。どんな問題に関...
関根正雄先生の指導の厳しさは知れ渡っていました。博士課程でご指導を受ける前から、こちらは身構えていたのです。夜間講座でご挨拶をして、名前を覚えていただいたのですが、将来何をするのかと尋ねられた記憶があ...
お世話になった先生やゼミの友人、大学院修士課程時代に院生自治会執行部を組織していた仲間など、それぞれの出会いには濃密な思い出が残っています。でも人生の分かれ道がどこから始まったのか顧みると、どちらに向...
関根正雄先生は内村鑑三の最後の弟子だった方でした。読みあさった内村鑑三の著作や、新渡戸稲造、矢内原忠雄が書いたものを通して無教会の考え方には親しんでいました。『イスラエル宗教文化史』の著者が、内村鑑三...
手探り状態であった学生時代を思い起こすと、天職など考える暇はなかったと言えます。いろんな出会いがあったことにも気付かされます。しかし自分が手掛けている仕事のルーツを辿っていくと、出会いを意識せざるを得...
学生時代に自分の天職は何かと考えることがあるでしょうか。目の前の課題にかかりっきりだと、そんなことを考える余裕はないでしょう。自分の学生時代は大学紛争の只中で、改革を要求する学生と、学内の秩序を守るこ...
転勤族の意識が抜け切れなかったわたくしを、故渡邊幸二郎会長がふるさとを愛する人々の交わりに導き入れて下さったのです。出会いの不思議さを感じます。故渡邊会長は、杭打ちから敬和学園大学の建設に携わり、オレ...
辞令を受けた直後、連れて行かれたのが新発田建設でした。当時オレンジ会会長であられた、故渡邊幸二郎新発田建設会長に引き合わされたのです。初対面でしたが、温厚な方で、筋の通った生き方をされてきた人だという...